誰かの正解ではなく、自分の言葉に戻るために

どうも、H1R0Iです。

歌詞を書こうとするとき、知らないうちに「誰かの正解」を探してしまうことがあります。

こう書けば評価される。
こういう言葉なら歌詞らしい。
こういう展開なら感動してもらえる。
このジャンルなら、こういう表現が合っている。

もちろん、学ぶことは大切です。

良い歌詞に触れることも、作詞の考え方を知ることも、表現の型を学ぶことも、すべて無駄ではありません。

けれど、誰かの正解を探しすぎると、自分の言葉から離れてしまうことがあります。

本当は悲しかったのに、前向きにまとめようとする。
本当は怒っていたのに、きれいな言葉で隠そうとする。
本当はまだ迷っているのに、答えが出たように書こうとする。

そうしているうちに、歌詞は整っているのに、自分の心から遠いものになっていきます。

あなたは今、歌詞を書くときに「自分が本当に感じたこと」よりも、「こう書くべき」という正解を優先していませんか?

作詞において大切なのは、誰かの正解をなぞることではありません。

自分の中にある小さな本音を見つけ、それをリスナーに届く形へ育てていくことです。

自分の言葉は、最初から立派ではありません。

弱いこともあります。
幼く感じることもあります。
ありきたりに見えることもあります。
人に見せるのが恥ずかしいこともあります。

でも、その中にしかない温度があります。

誰かの正解は、きれいに見えるかもしれません。
でも、自分の心を通っていない言葉は、どこか借り物になります。

逆に、不器用でも、自分の心を通って出てきた言葉には、育てる価値があります。

大切なのは、そのまま出すことではありません。
出てきた言葉を、すぐに否定せず、まず受け止めることです。

そして、その言葉に問いかけてみることです。

「この言葉は、何を守ろうとして出てきたのだろう?」
「本当は、何をわかってほしかったのだろう?」
「この歌詞で、誰に何を届けたいのだろう?」

そうやって見つめていくと、最初はぼんやりしていた言葉の奥に、自分の本音が見えてくることがあります。

誰かの正解から離れることは、独りよがりになることではありません。

自分の心に戻ったうえで、リスナーに届く形を探すということです。

自分の言葉を大切にする。
でも、自分の中だけで終わらせない。
リスナーが受け取れるように、少しずつ整えていく。

そこに、作詞の大事な過程があります。

歌詞は、正解を当てるためのものではありません。

あなたの中にある想いを見つけ、
その想いを言葉にし、
誰かの心に届く形へ育てていくものです。

誰かの正解を探しすぎて苦しくなったときは、一度、自分に戻ってみてください。

本当は、何を感じていたのか。
本当は、何を届けたかったのか。
本当は、どんな言葉なら自分の声で歌えるのか。

そこに戻ることから、自分の歌詞は始まります。

H1R0I

この記事を書いた人

作詞専門コンサルタント、作詞家、そして連続起業家。H1R0Iとしての活動の他に、2つの独自事業を展開している。

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