感覚に任せても形にならないとき、何を見直すべきか?

どうも、H1R0Iです。

作詞を始めたばかりの頃は、まず感覚に任せて書こうとする人が多いと思います。

そのときの気持ち。
浮かんだ言葉。
好きなメロディ。
胸の奥にあるイメージ。
なんとなく書きたい雰囲気。

そうしたものを頼りにして、歌詞を書き始める。

これは、とても自然なことです。

歌詞は、感情や感覚から始まることが多いからです。

心が動いた。
何かを伝えたいと思った。
この気持ちを形にしたいと感じた。

その感覚がなければ、そもそも歌詞を書こうとは思わないかもしれません。

だから、感覚は大切です。

けれど、感覚に任せて書いているうちに、途中で形にならなくなることがあります。

最初は勢いがあった。
言葉も少し出てきた。
なんとなく良さそうな雰囲気もあった。

でも、書き進めていくうちに、何を言いたいのかわからなくなる。

Aメロらしきものはできたけれど、サビに向かわない。
感情はあるのに、展開が見えない。
言葉は並んでいるのに、歌詞としてまとまらない。
読み返すと、ただ思いついたことを書いただけに見える。

そういう状態になることがあります。

このとき、多くの人はこう思います。

「やっぱり自分にはセンスがないのかな?」
「感覚で書ける人とは違うのかな?」
「もっと才能があれば、自然にまとまるのかな?」

でも、感覚に任せても形にならないことは、才能不足だけが原因ではありません。

むしろ、感覚だけで最後まで形にするには、見えないところで多くの判断が必要になります。

何を残すのか。
何を削るのか。
どこへ向かうのか。
誰の視点で書くのか。
どの感情を中心に置くのか。
リスナーに何を受け取ってほしいのか。

こうした判断を、感覚の中で自然にできる人もいます。

でも、それが最初からできないからといって、作詞に向いていないわけではありません。

ただ、見直す場所があるだけです。

感覚に任せても形にならないとき、まず見直したいのは、
「何を届けたいのか」
です。

感覚で書いていると、気持ちはたくさん出てきます。

寂しい。
嬉しい。
悔しい。
好き。
忘れられない。
前に進みたい。
わかってほしい。
変わりたい。

でも、その感情を通して何を届けたいのかが見えていないと、歌詞は散らかりやすくなります。

感情はある。
でも、向かう先がない。

この状態では、言葉は出ても、歌詞としてまとまりにくくなります。

あなたが今書こうとしている歌詞は、何を届けたいのでしょうか?

ただ気持ちを吐き出したいのでしょうか?

それとも、同じ気持ちを抱える誰かに、何かを手渡したいのでしょうか?

ここを見つめるだけで、歌詞の方向は少し変わります。

次に見直したいのは、視点です。

感覚で書いていると、視点が動きすぎることがあります。

自分の気持ちを書いていたはずなのに、急に相手目線になる。
過去の話をしていたはずなのに、現在の決意に飛ぶ。
誰かに向けていた言葉が、途中から自分への言葉になる。
場面が変わりすぎて、聴き手がどこに立てばいいのかわからなくなる。

もちろん、視点を変えること自体が悪いわけではありません。

ただ、無意識に視点が揺れすぎると、歌詞の芯がぼやけます。

この歌詞は、誰の心から語られているのか。
誰に向けて言葉を置いているのか。
どの時間から、その出来事を見ているのか。

ここを少し整理するだけで、感覚で出てきた言葉がまとまりやすくなります。

三つ目に見直したいのは、感情の中心です。

一つの歌詞の中に、たくさんの感情を入れようとすると、形になりにくくなることがあります。

悲しさも書きたい。
怒りも書きたい。
未練も書きたい。
希望も書きたい。
感謝も書きたい。
後悔も書きたい。

そのすべてが本当の気持ちかもしれません。

でも、一つの歌詞の中で全部を同じ強さで扱おうとすると、聴き手はどこに心を置けばいいのかわからなくなります。

だから、感情を一つに絞る必要があります。

完全に一つだけにするという意味ではありません。
中心を決めるということです。

この歌詞の中心にある感情は何でしょうか?

寂しさでしょうか?
それとも、寂しさの奥にある「まだつながっていたい」という願いでしょうか?

怒りでしょうか?
それとも、怒りの奥にある「大切にされたかった」という痛みでしょうか?

前向きさでしょうか?
それとも、前向きになりたいけれどまだ怖いという揺れでしょうか?

感情の中心が見えると、言葉の選び方が変わります。

どの表現を残すべきか。
どの言葉は少し外れているか。
どこをサビで強く出すべきか。

そうした判断がしやすくなります。

四つ目に見直したいのは、言葉を出す段階と整える段階を混ぜすぎていないかです。

感覚に任せて書くとき、最初は自由に出すことが大切です。

でも、ずっと出しっぱなしだと、歌詞は散らかります。

一方で、最初から整えすぎると、感覚が出てこなくなります。

だから、段階を分ける必要があります。

まず出す。
次に見る。
それから整える。

この流れです。

感覚に任せても形にならない人は、出す力がないのではなく、出したあとに見る視点がまだ足りないだけかもしれません。

出てきた言葉を見て、
「この歌詞はどこに向かっているのか?」
「この中で本当に残したい感情はどれか?」
「この言葉は、届けたいものに近づいているか?」
と確認していく。

この作業があることで、感覚は少しずつ歌詞の形へ近づいていきます。

感覚は、歌詞の大切な入口です。

でも、感覚だけにすべてを任せると、書き手自身もどこへ向かっているのかわからなくなることがあります。

だからといって、感覚を捨てて理論だけで書けばいいわけでもありません。

感覚は消さない。
でも、感覚を見つめる視点を持つ。

ここが大切です。

あなたの感覚は、間違っているわけではありません。

ただ、まだ整理されていないだけかもしれません。
まだ中心が見えていないだけかもしれません。
まだリスナーに届く形へ育つ前かもしれません。

感覚に任せても形にならないときは、感覚を否定する必要はありません。

見直すべきなのは、感覚そのものではなく、感覚をどう受け取り、どう育てるかです。

何を届けたいのか。
誰の視点で書いているのか。
中心にある感情は何か。
出した言葉を、どの段階で整えるのか。

そこを見つめるだけで、歌詞は少しずつ形を持ち始めます。

感覚は、作詞の始まりです。

でも、歌詞として誰かに届くためには、その感覚を育てる時間が必要です。

感覚を信じることと、感覚だけに任せきることは違います。

自分の中から出てきたものを大切にしながら、
それをリスナーに届く形へ整えていく。

その過程の中で、感覚はただの気分ではなく、歌詞の芯へと変わっていきます。

H1R0I

この記事を書いた人

作詞専門コンサルタント、作詞家、そして連続起業家。H1R0Iとしての活動の他に、2つの独自事業を展開している。

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