生成された歌詞を、自分の作品として引き受けられるか?

どうも、H1R0Iです。

AIを使えば、歌詞らしい言葉はすぐに生成できます。

テーマを入れる。
雰囲気を指定する。
少し直してもらう。
別の表現に変えてもらう。

そうしているうちに、形としてはかなり整った歌詞ができることがあります。

けれど、そこで大切になる問いがあります。

その生成された歌詞を、自分の作品として引き受けられるでしょうか?

これは、AIを使うかどうか以上に大切な問いです。

AIが作った言葉でも、それを選び、使い、公開し、歌として届けるなら、最終的には人間の作品になります。

その言葉が誰かの心に届く。
誰かを励ます。
誰かを傷つける。
誰かの記憶に残る。

その可能性を持つ以上、ただ「AIが出したから」で済ませることはできません。

歌詞は、言葉が並んでいれば完成するものではありません。

その言葉をなぜ選んだのか。
その歌詞で何を届けたいのか。
その一行を、自分の声で歌えるのか。
その作品を見た人に、どんな感情を残したいのか。

そこまで見つめる必要があります。

生成された歌詞が、きれいに整っていることはあります。

でも、きれいだから自分の作品になるわけではありません。

歌詞らしいから、自分の言葉になるわけでもありません。

自分の作品として引き受けるには、その歌詞の中に、自分の意志が必要です。

この言葉を残す。
この表現は違うから直す。
この一行は自分の想いに近い。
この部分は、きれいだけれど自分の心から遠い。

そうやって判断することが必要です。

あなたは、AIが生成した歌詞を見たとき、どこまで自分の意志で選んでいるでしょうか?

その歌詞を、自分の名前や活動の中に置けると感じているでしょうか?

AIの出力をそのまま使うことが、必ず悪いという話ではありません。

ただ、その言葉を本当に自分の作品として扱えるのかを見つめることは必要です。

そこに違和感があるなら、その違和感は大切にした方がいいです。

違和感は、自分の感性がまだ働いている証拠です。

「これは少し違う」
「この言葉は自分らしくない」
「この表現では、届けたいものに届いていない」
「このまま出すのは、どこか自分の作品として弱い」

そう感じるなら、そこから手を入れればいいのです。

AIが生成した歌詞は、完成品ではなく素材として見ることができます。

その素材を見つめ、
自分の心に近づけ、
リスナーに届く形へ整え、
自分の作品として責任を持てる言葉へ育てていく。

そこに、人間の役割があります。

AI時代の作詞では、言葉を作る力だけでなく、引き受ける力が問われます。

その歌詞を自分の作品として出せるのか。
その言葉に、自分の心は通っているのか。
その一行を選んだ理由を、自分で持てるのか。

そこを見つめること。

それが、AIと共に作詞する時代に必要な姿勢だと思います。

H1R0I

この記事を書いた人

作詞専門コンサルタント、作詞家、そして連続起業家。H1R0Iとしての活動の他に、2つの独自事業を展開している。

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